催眠が日常化した世界の中で

催眠を初めてそう長くは年月が経っていない。

しかしながら催眠を掛ける事自体は日常化した。

 

そしていま、スランプではないがドツボにハマっている。

人はどうしても楽な方法があるなら、そこに逃げ込みたくなるものだ。

私も例外ではない。故に私の掛け方は徐々に最適化されて自身の中で楽なものに変わっていった。

変わっていくなかで耳にする言葉は「恐怖」の単語だ。

最適化された掛け方に心は入れにくいのだろう。

どうしても冷たい対応に聞こえてしまう。

なおかつ私も最適化する度に心を入れることを端折ってきた。

 

なぜそこを端折るのかは、また別の時にでも